Nobuyuki Takahashi’s blog

七ヶ浜 祈り

朝4:50 起床。小雨の中、菖蒲田浜に向かう。私たちが滞在する中央公民館近く、仮設のボランティア拠点「きずな館」は小高い丘の上にあり、津波はそこまでは押し寄せてこなかった。台地の敷地内には無数の杭が穿たれ、仮設住宅の建設が急ピッチで進められている。その小高い丘を東へ5分ほど歩き、さらに急斜面を降りて行くと、木々の間から菖蒲田浜の街の全景が現れる。足が一瞬すくむ。
景観全体がローシェンナに染まっている。足下に目を移す。田畑の土と海砂がシェイクされてできたぬかるみに足をとられる。行ってみればわかることだ。私の目の前にあるものはけっしてガレキではない。点在する車、家の屋根、柱の一部、枝に架かる衣服…極限まで粉砕しつくされた人々の暮らし、営み、そして思い出…それらが混沌と折り重なっている。ひとつ一つの断片を注視してみるが、どうにも焦点が定まらない。水平垂直を示す、建造物はここには存在しない。寄りかかるものがないのだ。津波が襲った瞬間、ここは、生きている者たちが存在できない場所となった。このような景色がある、ということを私は初めて知った。手を合わせながらカメラのシャッターをきる。
朝食は前日の夕食の残りをボランティアチーム全員で分け合って食べる。食器にサランラップを巻いて食べている人もいるが、水道はなんとか安定して供給されているので、使用した食器も洗うことができる。
私たち足湯および炊き出しチームは11人。午前中は250人分の豚汁の炊き出しを行い、午後は足湯を実施することになった。昨日は国際村で実施した足湯は私たちが滞在する「きずな館」のすぐとなりにある中央公民館で行う。
膨大な食材を刻む。にんじん、だいこん、白菜、豚肉、ごぼう、じゃがいも
大鍋に刻んだ食材をなげこみ、石油バーナーで沸かす。湯気が背丈を越えるほどに立ち上り、鍋を囲む仲間たちの顔が見えない。
お昼になり、できあがった豚汁とご飯を手渡して行く。皆で一生懸命作った豚汁が飛ぶように出て行く。あたたかい食べ物を分け合って食べる。それが美味しい、楽しい、うれしい。いたってシンプルだ。
さて、炊き出しを片付けながら、足湯の設えに必要な道具類をリヤカーに積んで運ぶ。避難所の入り口にガスボンベと鍋を構え、足湯を呼びかける。昨日と同じように、「ひかりはがき」も手渡して行く。今日は私が所属しているボランティアチームのアイデアで、段ボールに野菜をくるむための梱包材の一部を貼付け、そこへさらに「ひかりはがき」を貼付して展示することにした。ファイルをめくりながら選ぶのとは異なり、他のはがきと比較しやすいのに加えて賑やかな雰囲気も演出できる。試してみてわかったのだが、立てかけるよりも床面に置いた方が効果的のようだ。壁面への掲示があまりにも雑多で埋もれてしまうのに対して、床に並んでいると思わず皆しゃがみ込んで見たくなるようなのだ。ボランティアチームの10名も時間を持て余している方を見つけては、「ひかりはがき」を綴じこんだファイルを見せてくれている。本当に持ってきて良かった。そして、このチームで足湯をやって良かった。はがきを描いてくれた皆さんの声が当地でじわりじわりと浸透していく。
私が足湯を施した方のなかに漁師さんがいた。その方は寡黙でほとんど言葉を交わすことはなかった。無骨で大きな手。マッサージをゆったりとしたペースで施していく。いくつもの怪我の跡が手に刻まれ、労働の厳しさを見て取ることができる。掌は大きなRを描いてくぼんでいて、人柄の大きさ、あたたかさを感じる。私はその方の掌と菖蒲田浜の情景を重ねていた。きっと美しかっただろう浜とその街。その美しい姿を私はいつか見てみたい。祈り、目を閉じる。