Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 9月 20日のアーカイブ

取りこぼしたものを掬う

2010年 9月 20日

今日も朝一便から満席50名の来場者のうち35名が10:30便で帰る。せいしょうはまつかぜの倍で30分ほどをかけて高松と大島をつないでいる。だから実質島にいられる時間はたった35分ほどしかない。短縮したガイドでも省略したように感じさせないガイドツアーのテクニックは容易ではない。
ギャラリー前には元13寮、14寮の跡地が広がっている。まだまだ日差しは強い。日を浴びて雑草が生え始めた。来場者がギャラリーに来るまでに草抜きをする。
ギャラリー前で来場者に解剖台、ギャラリーの展示内容を解説していると「芸術祭が終わった後はこの島はどうなっていくのでしょうか。」という質問が多く寄せられる。それは問いかけに終わらせてはならず、大島のことを入所者だけでなく皆で考えて行かねばならない。
資料館に並ぶ資料的価値のあるものはこの島にはほとんど残っていない。一方で資料的価値とは異なる、記憶、時間、知恵を携えたものは辛うじて集めることができる。しかしそれには、とるに足らないものであっても捨てずにとっておく意識が育たなければ遺失の加速はとめることができない。記憶、時間、知恵(文化)を携えたものを集めるには、そのものがたずさえるメッセージをキャッチするアンテナが必要だ。放っておいたら取りこぼしてしまうそれらを掬いとることができるのはアーティストしかいないだろう。何もかも遺失してしまったかに見える大島でなお入所者の生き様を映した珠玉の記憶はまだ見つけることができる。大島が静かに語る声を受け取ることができるのだ。
「アーティストが場所と出会い、関わり、役割を担う新しい形を見た気がした。」という感想を話す来場者がみえた。こうして来場者の方々と話す機会があり、率直な反応を受け取ることは、明日への励みとなる。

松の木陰でくつろぐ安長さん