Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 12月 6日のアーカイブ

アートミーツケア学会 二日目

2009年 12月 6日

7:30 起床。窓から東京タワーが見える。真向かいのビルに反射光があたって美しい。
9:30 食事を済ませてチェックアウト。濡れた路面が物語るほかは昨日の雨が嘘のようだ。
10:00 アートミーツケア学会二日目。3カ所に分散して研究者、アーティスト、活動家がそれぞれ30分ほどの実践報告、研究発表を行う。各会場で同時進行しているために選択して会場を移動しなければならない。
アーティストの宮本博史さんの実践報告がおもしろかった。宮本さんはやさしい家で出会ったが、のちに伏線があることが判明。私と平松、冨永3人のアーティストが運営する現代美術のオルタナティブスペース+Galleryの映像コンペティションに宮本さんは出品したアーティストの一人だったのだ。
自己紹介は衝撃的だ。おじいさまが撮った8ミリに写る赤ん坊の宮本さん。その動画をいつもiphoneに入れて持ち歩いているのだそうだ。憶えていないけれど、揺るぎない自分の存在を示すものをこのような形でつかんでいる人はめったにいないだろう。この体験が宮本さんの制作のベースを形成している。
年月をかけて進めている現在進行形のプロジェクト「存立(そんりつ)」。宮本さんは出会った人の記憶に寄り添い膨大な時間をかけて共にたどっていく。宮本さんは他者=見知らぬ記憶と向き合いながら、その痕跡や断片を採集し、再構築していく。人と人が出会う=知らない記憶と出会うというふと通り過ぎてしまうような記憶の重なり合いにおののき、よろこび、かなしむ。淡々と寄せ集められていく事物は記憶とべったりとはり付いた状態で提示されるのだ。このような世界の見方があったのか。
12:00 3つの研究発表を聞いたあと、昼食をとる。
13:00 アートミーツケア学会総会。会計報告や次年度の計画が発表され承認。来年度の総会は仙台だそうだ。うーん、行かねば。
13:30 昨日の分科会の報告がある。驚いたことに発表は学生が行った。慶応大、明治大の学生が昨日の分科会で起きたハプニングや議論の様子をダイジェストで紹介。素直な反応が初々しい。
ある分科会はタブー視されがちな「障害者の性」についての話題が報告された。さすがに学生では荷が重く、代わりに森口ゆたかさんが報告する。ある脊髄損傷で下半身不随の方が愛する人と交わるために練習して四つん這いになることができ、やがて射精までも可能にした、という逸話は会場を感動に包んだ。「セックスは生きていることの一部です。分科会で話された多くの逸話が人間の尊厳に関わることだった。」と震える言葉で締めくくられた。また、このような問題提起もあった。「男性と女性の性の平等性はあるのでしょうか。女性が性を語ることは社会的に難しい。もし、女性が障害を持ったならば、さらに性の問題はブラックボックスに入ってしまう。」普段考えても見なかった視点に私も大きく揺さぶられた。
さて、最後のプログラム、対談 鷲田清一×熊倉敬聡だ。
最初に 鷲田氏から北川フラムさんの言葉が引用された。「アートに生活を取り戻す。」
なぜ「生活にアートを取り戻す。」ではなかったか。そこを出発点として議論を展開する。
昨日講演した石内都さんの創作、底流に流れるエレメントを対談者二人が見事にえぐり出していく。
「生きることは傷を負うこと。石内さんの写真を撮る行為は、傷を生き直すことだ。傷を撮影しなぞるだけでなく、それは見ることにできない自己の深部にある傷を解放していく作業だった。」
「痛みは「今」「現在に閉じ込められる」激痛は後も先も考えられない。傷はいつまでも過去になってくれない痛みの記憶だ。」
傷の考察から現代の傷について議論は広がる。自らつける傷、自傷行為、ピアッシング…。現代に特有な傷と石内さんの作品はどこか共振するのではないか。
石内さんが現在制作している広島についても議論の火種が飛び火する。「現在の広島は原爆ドームを例外にして、表面的にはとてもきれいで、傷が残っていない、傷はあるはずなのに傷が消されている街だ。」と熊倉氏は言う。見えない傷は深い。神戸も同様のことが言えよう。
生のフォーマットをどう変えていくのか。そこにアートはどのように機能していくのだろう。答えは簡単に見つかるものではないが、その可能性について諸氏は議論を重ねていく。
「仕事=資本主義的なシステムは目標に向かっていくために今、何をやるのか、やるべきなのか、ということである。つまりそれは共通の理念に集う集団(=party=政党)である。」一般的に社会での活動のあるべき姿である。しかし、アートの役割は少しシフトが異なるのではないか。
「(最近見られる、社会活動に近接する)アーティストは社会に参画する時に、自分が何を作るかわかっていない。目標はゆるやかで、そこに集まってくる人々もゆるい団体。それがいつの間にか、こうでしかない、こうでなければあり得ない形に帰結する。」明日は予測できる。アーティストが創り出すのはその次にある明後日を創り出すことだ、というところで鷲田氏、熊倉氏の議論は締めくくられる。
諸氏のお話を聞きながら、我が振りを見つめてみる。今年の十日町病院の取組みとやさしい家にはアーティストの仕事があり密接に連携しながらデザイン集団でんでんの仕事があった。でんでんは終始、「仕事」であることの線をきちんと守った。「ニーズに答える。」という姿勢を貫いたのだ。アートの営みは同じ創造でも質が異なるものだ。受け入れられるかどうかもわからない、その先はわからないぎりぎりの皮膜のような領域で成立する世界。その繊細な皮膜に触れて多くの人々が共感することが起こりうるのだ。その意味でここのところ、アートは特権化されすぎたのかもしれない。社会にアーティストが進出する動きは以前からあったけれど、それはどこまでいっても「生活にアートを取り戻す」ことでしかなかったのではないか。
ここで北川フラムさんの言葉に再び戻ってくる。「アートに生活を取り戻す。」