Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 6月のアーカイブ

大島 ビーチコーミングと屋根裏

2010年 6月 12日

6:30 起床。今日もさわやかな晴天。午前中予定されているビーチコーミングも楽しく実施できそうだ。
7:00 朝食を食べる。高松で購入したパンに紅茶で簡単に済ませる。
8:00 GALLERY 15(15寮)に行き、機材関係のコネクターを確認する。早く音だししたい。

野村ハウスの畑

8:30 野村ハウス(11寮)に戻ると、見慣れた自転車がある。あ、野村さんだ。11寮の南側に行くと畑に野村さんの姿が見える。「おはようございます!」野村さんはわらで編んだおしゃれな帽子できゅうりを収穫していた。朝一番に目の前の畑で採れたものを食す。なんという幸せ。野村さんは私たちのために11寮の周りにトマト、プチトマト、きゅうり、なす、い

野村きゅうり

んげん豆、ゴウヤ、すいかを植えてくれた。野村さんの奥さんもやってくる。10寮の大野さんもぶらりと畑を見に来る。すいかはゴルフボールぐらいまでになると、札をつける。カウントを始める日にちをおぼえておき80日経つと大きく成長し、食べごろとなる。「札に名前をつけるといいじゃろ」と野村さんはおっしゃる。名前つけたらかわいそうで食べられなくなりそー。

野村すいかは成長中

野村さんに1つお願いごとをした。野村ハウスの押し入れにある「大島箪笥」を展示に使わせてほしいと話すと、快く貸していただけた。3つの引き出しのついた簡素なつくり。奥行きが3尺ほどで、大きさは市販されている箪笥とは異なるものだ。大島の大工さんが作っていたそうだ。野村さんも一時期は島の大工を担当していた。この大島箪笥は野村さんが大工時代にご自身が作ったものだ。昔は合板がないので板同士をよくすりつぶしたお米で接着して使ったそうだ。GALLERY 15、そしてこの11寮も同じ長屋だ。野村さんが入所したころは長屋は真ん中から2部屋に別れていて、24畳の部屋に12人の入所者が雑居しており、小さな押し入れには個人の大島箪笥が置かれていたそうだ。プライバシーもへったくれもないがらんどうの大部屋にひしめき合うように暮らしてきたハンセン病患者たち。大島箪笥はその暮らしぶりを表している。
きゅうりの収穫が終わり野村さん夫婦とまったりと話しているとAFG高坂さん、原さん、こえび隊甘利さんが野村ハウスにやってくる。昼食は皆できゅうりにかぶりつこうと思う。
9:00 桟橋に行く。庵治便の官用船で一足先に大島に着くビーチコーミング参加者が若干名いるとのこと。

大島の浜辺がクリーンナップ

9:30 まつかぜが桟橋に着く。みっしりと人が乗っている。定員ぎりぎりだろう。活気があっていい感じだ。
今回のビーチコーミングは香川県みどり保全課が主体となり、クリーンナップ作戦と称してボランティアを募った。50名の定員を大きく上回って80名ほどの参加者が名乗りをあげた。家族、子ども連れ、年配の方もいる。こえび隊も数人がやってきた。すっかり大島ファンになった常連の方ばかりだ。通称「熱い男」の末藤さんもやってきた。
墓標の松周辺に集まり、今日のビーチコーミングとクリーンナップ作戦について説明がある。ビーチコーミングとは漂着物を丁寧に拾い、分析することによって私たちの生活環境を見るというものだ。もちろん、浜辺でのお宝に巡り会う楽しみもある。それと併せて、瀬戸内国際芸術祭の会場となる大島を清掃することでもある。目的はビーチコーミングだけれど、大島に興味がある方も多数いるはずだ。たくさんの希望者が大島を訪れ、芸術祭の幕開けを待って期待感が膨らむ。
5〜6人のグループに分かれて西の浜で漂着ゴミをひたすら拾う。集めるだけではない。どのようなゴミがどれぐらいあるかを記録する。
11:00 ビーチコーミングとクリーンナップ作戦終了。
鹿児島大学の准教授藤枝さんのレクチャーがある。イルカの背骨、金属製のフィルムケース、シーグラスなどお宝の紹介に始まり、漂着物はどのように発生し、私たちの生活だけでなく世界中の動物たちにも影響を与えているということを楽しいエピソードを交えてお話しいただいた。そのレクチャーの間に入所者の脇林さんが私にバケツ一杯の琵琶を渡す。どこから採ってきたのだろう。足も手も不自由な脇林さん、どうやって琵琶を採ったのだろう。
12:00 こえび隊の皆さんとカフェ・シヨル(第二面会人宿泊所)に行く。実は香川県庁のほうから官用船の出発まで1時間ほどあるのでその間瀬戸内国際芸術祭の取り組みを紹介してほしいと頼まれていたのだ。こえび隊のベテラン勢が集まっていたので、二手に分かれてギャラリーとカフェを紹介することにした。昼食を食べながら打ち合わせる。朝収穫した野村きゅうりをぽっきり折ってかぶりつく。うまいっ。
12:30 こえび隊の末藤さん、崎山さんが案内役を引き受ける。私はGALLERY 15で待機する。30名あまりのお客さんを相手に10分ほどギャラリーについての解説をする。芸術祭が開幕になったら、このような感じなのだろうか。いずれにしてもこうした経験を積み重ねることによって今後の様々な場面で役に立つだろう。
13:25 ビーチコーミング、クリーンナップ参加者、AFGの高坂さん、原さん、こえび隊甘利さんは仕事があるので大島を離れる。うれしかったのはビーチコーミングに参加したこえび隊の皆さんが最終の高松便まで大島に残ってくれたことだ。あつい男末藤さんは「はじめて桟橋から船を見送れるぞー。」とはしゃいでいた。送られるよりも送り出す方が寂しさがこみ上げるものだ。彼は単に喜んでいたのではなく、入所者の皆さんが島から人々を送り出す心境に少しでもふれられることがうれしかったのだと思う。
皆でGALLERY 15に行く。残ってくれたこえび隊の皆さんにギャラリースペースの掃除をお願いする。予定していなかった作業だけれど、やはり助かる。

屋根裏はこうなっている

私は音響設備の配線のため屋根裏に入る。瓦が日に焼けて屋根裏は猛烈に熱い。すぐに脱水症状を引き起こしてしまいそうだ。何人かの入所者が様子を見に来る。こえび隊の面々は交流を楽しんでいる。私は集中して配線作業を進める。
16:00 いったん作業を中断し、こえび隊の皆さんを桟橋まで送る。皆で手を振る。力一杯手を振るー。
16:30 GALLERY 15に戻る。暗くなるまで配線の作業だ。明日に音だしをして調整を始める。
19:00 作業終了。カフェに荷物をとりに行く途中入所者の浜口さんに呼び止められる「琵琶取りに行こうか。」山吹色の琵琶があちこちに生っている。すぐにビニール袋がいっぱいになった。昨日の残り物とあり合わせで炒め物をつくる。琵琶は水洗いしてざる食い。こんな新鮮な琵琶をざるで食べるなんて初めて。
最高。

鈴なりの琵琶は美味

大島 展示準備と検討会

2010年 6月 11日

夜行バスに乗り、高松駅に着いたのは6:30。カフェが開店するのが7:30とのことだったので、駅前広場にゆったりと座りやりすごす。
7:30 カフェでコーヒーとハムサンドのセットを頼む。コーヒーはtallで眠気を吹き飛ばす。今日は待ちに待ったギャラリーの展示作業と定例検討会を行う。気が抜けない。資料は昨日名古屋を出る前に香川県の担当者に送ってある。
9:05 せいしょうに乗船。NHKのアナウンサー、山陽放送の取材クルーの取材を受けながらもやのかかった瀬戸内海を行く。
9:30 大島に到着。その足で納骨堂に行き参拝する。いつものごあいさつだ。荷物を野村ハウス(11寮)に置き、自治会事務所に向かう。今週送った荷物がすべて届いている。音響機器、木材、その他の資材が山のように積まれている。福祉室作業部から軽トラックをお借りして、工具なども積み込んで一気にGALLERY 15(15寮)へ運び込む。早速開梱して機材のチェックをする。アンプ、デッキ、スピーカーを配置する。シンプルな構成だが、音量や配置によって反響の仕方が全く異なってくる。微調整に時間がかかりそうだ。
あっというまにお昼だ。お弁当を高松駅で購入したが、野村さん、曽我野さんに誘われて、百寿会のお部屋をのぞく。野村さんと曽我野さん、野村さんの友人、お酒を嗜み皆さんすっかりいい感じになっている。「おう、こっちにすわりなさい。」野村さんに呼ばれて隣の席に。席に着くなり曽我野さんに「おい、そのひげ、なんとかしろ。」としかられる。大島に来ると私はひよっこだ。皆さんにいつもしかられ、げきをとばされている。ご安心を。皆さん、やさしく声をかけていただいているから。
日本酒をいただきながら、鯖寿司やかつおのたたきを食べた。小夏みかんは色が蛍光色にちかい黄色で甘さが半端ではない。またおいしいものをたくさん教えていただいた。
13:00 GALLERY 15で作業。
14:00 陶芸室に行くと山陽放送の取材陣が山本さんの制作風景を撮影している。
14:30 自治会事務所で定例検討会。いよいよ芸術祭まで一月。さまざまな報告事項と検討事項を検討し、時間がどんどんすぎて行く。
16:00 定例検討会終了。特に芸術祭来場者に配布予定のルートマップの再検討がのぞまれている。急がねばならないが、大島がいかに外に開いて行くかを地図ひとつとっても徹底されていなければならない。なかなか難易度の高い仕事だ。
その後、GALLERY 15で作業をしていると、AFGの高坂さん、原さん、こえび隊の甘利さんがやってくる。これからの運営体制、継続の形をどのようにさぐっていくか、9月4日に開催するコンサートの準備も難関だ。3人で知恵をしぼる。高坂さん、原さん、甘利さんは今夜初めて大島に宿泊する。第一面会人宿泊所で泊まる手続きは済んでいる。
18:00 職員食堂の二階に向かう。瀬戸内国際芸術祭に向けて、交流を重ねようと一月前から計画していた。参加予定だった田島征三さんは事情により来られなかったが、入所者自治会の山本さん、大智さんとじっくりとお話しすることができた。山本さんの意見は率直だ。表裏がなく、言い出しにくいことも敢えて口に出す人だ。
20:30 宴会終了。高坂、原、甘利の3人は面会人宿泊所へ、私は野村ハウスに向かう。
明日の朝は野村さんときゅうりの収穫をする約束をした。野村ハウスの周りにはスイカの花、キュウリの花、カボチャの花が咲く。野村さんが30年〜40年かけて育てた山ツツジの盆栽も花が満開。朱色を帯びたピンクの色はなんとも心に残る色だ。明日の朝に写真を撮ろうと思う。

うれしいこと ふたつ

2010年 6月 10日

うれしいことが ふたつあった。
授業中のこと。アトリエに学生の制作状況を見に行った帰りに後ろから声をかけられる。大島焼ワークショップに参加した伊藤が大島で拾ったガラスの破片でランプシェードをつくったそうだ。「シヨルで使ってください。」

今日、携帯電話を自宅に忘れてきて帰宅したらメールが一通届いていた。同じく大島焼ワークショップに参加していた天野からだ。「大島焼もう焼き上がっていると思います。山本さんが気にかけていたので確認してくださいね。」
皆、大島を離れていても、心は大島とつながっている。

もう1つうれしいことが。日本学生支援機構から奨学金返済の請求書が届いていた。よく目を通したら、今回が最後の返済!一時期はあまりにも貧乏で返済不能で延長していたこともあったが、ようやく返すことができる。
節目だなー。

小牧市民病院 相談日

2010年 6月 8日

16:00 スタッフ川島とプロジェクトルームを出る。
16:30 小牧市民病院に着く。食堂でしばし休憩。
17:00 2階総務課に顔を出す。やさしい美術の取り組み担当者吉田さんが忙しそうにしている。さっそく3人だけの検討会を始める。
小牧市民病院の各部署にアンケートを配り、昨年一昨年と続けて実験を重ねて展示したモビール作品についてとアート・デザインの取り組み全般についてたずねる意識調査を行った。その結果と結果を受けて今年度1年間の活動の計画を説明した。3分の2の回収率が物語るものは何か。小牧市民病院は典型的な急性期病院である。働いている職員は忙しくてアートのことなど考えていられないのかもしれない。モビールについては設置を希望するというはっきりした意思を示した部署はなかったが、積極的に捉えている部署もある。そうした積極的な部署と相談し検討を重ねられれば質の高い作品を医療環境に寄り添ったかたちで展示できるはずだ。スタッフ川島はアンケートの結果をまとめたので特に留意すべき点が頭に入っているので補足をいれる。今年の計画はそのアンケートの結果に基づいたものであり、取り組む部署(相談部署)、設置場所の根拠にもなっている。
続いて年間のスケジュールも説明する。私たちは小牧市から委託されてこの事業に取り組んでいる。活動にお金が使われる以上、いかほどのボリュームの取り組みがどのような計画で実施されて行くかは綿密な計画を示さなければならない。もちろん、計画を遂行する責任を負うのも当然だ。
大旨の了解を得て、ミーティングは終了。次回はモビールの設置場所および担当部署との検討に入って行く。

化学療法室前の棚には抗がん剤の副作用の解説やかつらなどが置かれている

総務課吉田さんとの相談のあとは作品入れ替えを予定している、3階の化学療法室廊下に行く。ここは森田佳奈さんのペインティングを展示している。抗がん剤を投与する場所であるため、外来から離れたところに施設はある。清潔感を強く感じるが独特のぴりっとした緊張感が走る感じもある。
3階のICU(集中治療室)前もモビール設置の候補に挙がったが、手術室と隣り合わせで、モビール

集中治療室の扉周辺

の空間性が活かせる空間ではないとの判断。入り口の窓ガラスに有機的なフォルムの作品があると良いかもしれない。
18:30 小牧市民病院をあとにする。
19:00 プロジェクトルームに戻るとリーダー古川の仕切りでミーティングの途中だ。作品のプランが2〜3つ出てきている。楽しみだ。
発達センターちよだのワークショップ参加を希望している新メンバーも二人出てきた。いいスタートだ。

準備の嵐

2010年 6月 7日

午前中は明日、打ち合わせる小牧市民病院の取り組みの準備と大島で展示するギャラリーの作品マップの修正。
午後、授業では「高橋ゼミ」の中間報告会。適度な緊張感のなか、それぞれの制作、企画について報告を受ける。
17:30 発達センターちよだの造形ワークショップの準備。私とスタッフ川島のほかメンバーの森、村田、そして卒業生の浅井が加わる。2年前に取り組んだ「泥の絵画」の準備はさぶろく板のパネルに布や紙、エアキャップ(梱包材のプチプチ)などをはりつけ、そこに泥で大胆に絵を描くワークショップだ。同時に「ボールで描く」ワークショップの準備も進める。というのも、泥の絵画は屋外での取り組みなので雨天の時もつぶしがきくようにあらかじめ仕込んでおくのだ。晴天の場合はその次週にまわせばよい。
猛烈な勢いで準備を進めるが、人数が少ないため思いのほかはかどらない。
21:00 準備終了。
22:00 帰宅。軽く食事をとったあとはこれまた猛烈な勢いで大島に送る音響機材や作品の材料を梱包する。
2:30 終了。なぜか興奮して寝付けない。

プロジェクト

2010年 6月 3日

産学共同プロジェクトがさらにもう1つ立ち上がりそうだ。
現在7月末に搬入する中部電力「デザインの間」ディスプレイプロジェクトの2度目の展示に向かって目下ノルマを決めこんで製作中。
さて、もう1つは現在確定していないのでここでは詳細を伏せておく。今日、学生と一緒に現場を見学してきた。
このように産学共同プロジェクトに参加し、社会との接点で学生が活動できることはとても良いことだ。どの教職員も学生もそう言っている。時間給で身銭を稼ぐことも社会勉強だが、企業に学生自ら提案・実現し、成果をのこす達成感は何にも換えがたいものだ。その充実感は自分が興味が持てることに取り組めることの楽しさに加え様々な葛藤と労力、プレッシャーを乗り越えたことも含まれるものだ。一方でファシリテーションする側が共通して抱えている悩みがある。学生が卒業という最終目標を達成するための単位認定、そしてそれに直接関わる課題提出は学生の「義務」であるが、社会活動は「仕事」なのだ。この差が解るだろうか。学生はそこを取り違えてしまうのである。しかも追いつめられ、大きな壁にぶつかっている局面に限ってその取り違え、すげ替え、優先順位の逆転が噴出するのである。やさしい美術プロジェクトには何人かの卒業生が参加している。卒業生にはこの取り違え、すげ替えがない。初動機の持続、あるいは持続可能な動機付けのもとに行動に移しているからだ。仕事に自らの生き様を映す「ライフワーク」となっているすばらしいメンバーもいる。
この文章を読んでいる学生がいたら、私は失礼なことを述べたかもしれない。とてもがんばっている学生もいる。学生という括りを越えた意識の学生もいる。矛盾しているが私は学生は学生らしくあってほしいとも思っているのだ。むしろ学生という時間は何にも邪魔されず、理不尽な圧力に巻き込まれることなく純粋に、ひたむきに「ライフワーク」を追及するチャンスかもしれない。
理想を言えば、順序が逆だ。自分がライフワークとしていることが仕事になり、それを生業に生活する。でも、そうは簡単には行かないのだ。自分が猛烈に打ち込んでいてもそう容易くお金はついてこない。経験的にわかっている。
私は恥ずかしながら、無税の一年を送ったことがある。鶏舎小屋を改造して3000円の家賃で暮らし、水は水道ではなく沢水。8万の軽トラックは減価償却。作品制作費はすべて経費とし私が稼ぎ出したアルバイト代の多くはこれに消える。確定申告をしたときは基本控除の38万円を抜くと、生活費は極微々たるものだった。役場の担当者は怪訝な表情で私にたずねた。「あなた、どうやって生活しているんですか?」「あなたは何をしている人ですか?」
その時私は社会との接点というものは「枠組み」でできている、と思った。私の生き方はどの枠組みにも当てはまらなかったのである。「何者かわからない私」。その頃の私は沢水を毎日飲む生活をしていたので、実感として連綿と受け継がれ流動するという世界観を持っていた。それは私たちが日常で便宜上規定し、分類している枠組みを貫くものだ。この「実感」と「直感」は私の制作にも生活にも大きく影響をおよぼしていた。私が考える「クリエイション」とは枠組みから離れて遠巻きに見つめるのではなく、どこまでも枠組み内の存在として、その枠組みをぶち抜き貫いてつないで行くものでなければならない。
「枠組み」という言葉は適切かどうかわからない。もう少し当てはまる言葉があれば教えていただきたい。

正規の病院内委員会に参加する

2010年 6月 2日

昨日の報告の続きだ。
授業を担当する私の代わりにスタッフ川島が足助病院へ出張。病院内の正規の機構である文化実行委員会に参加してきた。その様子を伝えるため、川島のメールを転載する。
以下
昨日6月1日(火)ついに足助病院文化実行委員会に初参加いたしました。
遅ればせながら報告します。

文化実行委員会とは、足助病院内の正式な委員会で病院が発行している機関誌「あすけあい」の編集を行ったり病院内の文化的な活動や行事について検討する委員会です。
やさしい美術プロジェクトは今年度よりこの委員会に参加させていただけることになり、昨日6月1日(火)が初参加の日になりました。また、昨日は研究会を行わない月に行う、相談日(仮)の初日になりました。

相談日(仮)とは、
今年度から研究会を隔月で行い、研究会が行なわれない月に高橋先生か川島(もしくは両方)が終日足助病院に滞在し、搬入や作品メンテナンス、病院内の調査を行ったり、職員の方から上がってくる意見や要望を聞いて来るといったことをする日です。

今回は、木谷作品「どこでも窓」新作搬入と作品メンテナンス、病院内の調査を行い、16:30から文化実行委員会に参加しました。

「どこでも窓」搬入は夏をイメージした新作「こおろぎ橋」を売店奥の吹き抜け階段3Fに前作「五重の塔」と入れ替えで搬入しました。
その後、展示中の作品全てと絵はがきワークショップキットのメンテナンスを行い、病院内の作品が必要と思われる場所の調査を行いました。いくつか候補を見つけてきたのでまた来週のミーティングで発表します。
文化実行委員会では、やさしい美術プロジェクトが委員会に参加する経緯とメリットについて改めて説明を行いました。
そして
・古川作品「夏の香り」制作状況
・木谷作品「どこでも窓」搬入報告
・森作品「目も耳も使わないおもちゃ『ぎゅっころ』」プラン提案の三つのプランの報告をし、今後文化実行委員会でやさしい美術プロジェクトからどのような報告を行うのかを具体的に示しました。
今回はじめてということもあり、病院からはしっかりとした意見や要望はいただけませんでしたが、今後は様々な意見や要望が病院から上がってくる予感はしました。
そういった意見や要望をうけて、活動はよりいっそう活発なものになっていくでしょう。
以上です。
川島
おつかれ。川島くん。大役だったね。
8年の蓄積は新しい展開を生む。

針葉樹バージョンのMorigami!! デザインは井藤由紀子

{つながりの家}とは

2010年 6月 1日

「つながり」とは物理的な連鎖、連結のみを意味しているのではない。数値で示される強度を必ずも示している訳でもない。お互い確かめる術がないが、「かかわる」ことで生まれる心理的な連帯感といったらよいか…。どれほど言葉をつくしても十分ではない。そう、不可視のネットワークを私たちはクリエイトしているのだ。
「離れていても、あいつは元気にしているか、今何をしてるのか、」と想像する。思いを巡らすことで離れている家族や愛する人とのつながりを感じることができる。
日も暮れてきた一昨日のことだ。大島のカフェ・シヨル(第二面会人宿泊所)で内外装の作業をしていた大島メンバーの井木に、通りがかった入所者の大野さんが「おい、早く帰ってこいよ。暗くなるぞ。」と声をかけたそうだ。井木はその一言がめちゃくちゃうれしかったそうだ。大野さんは私たちが寝泊まりしている野村ハウス(11寮)のすぐ隣10寮の住人。町中で暮らしていて、近所のおじさんに「おい、もう遅いぞ、早く帰りなさい。」と声をかけられることがこのドライな時代にどれだけあるだろうか。
大島が訪問する場所ではなく、帰ってくる場所になる。やさしい美術プロジェクト大島での取り組み{つながりの家}の目標はそこにある。
※5月28日、29日、30日の大島については後日、本ブログにて報告します。