Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 7月のアーカイブ

妻有準備 生タコの唐揚げ

2009年 7月 18日

雨が光のシャワーのように撮れた一枚

雨が光のシャワーのように撮れた一枚

昨日から引き続き「やさしい家」からお届けする。
7:00 起床。もっと早く起きる予定だったが、いつも入ってくる朝の日差しがないからか。外はどしゃぶりで、庭の草木をたたく音が激しい。
8:00すぎに作業を始める。昨日気がついたメモを確認しながら段取りを組む。
まず、昨日ベージュにペイントしたコンパネを奥8ギャラリーに貼付ける。まず四隅を留めてコンパネの構成が動かないようにして、あとは30センチピッチで丁寧にビスもみしてゆく。10:00完了。職人さんにならって10時の休憩をとる。やさしい家は伝統的な軸組工法でできていて、柱と土壁そして屋根で成り立っている。8畳間は完璧な四角形ではない。コンパネを敷いたあと、隅の微妙なすき間を見切り、細い材で縁取りする。こうすることで8畳間の床が額縁によって切れ味よく切り取られる。
さて、ここからは奥8ギャラリーに随時増やして行く「森をつくるおりがみMorigami」をライブ中継するwebカメラの配置とそれに連携して端末、LANの配線、サーバーの電源などの配線作業が待っている。

ピタッと貼れた床面

ピタッと貼れた床面

特にwebカメラの位置決めに時間をとられる。実験的にMorigamiを床面に配置しながら様子を見てみる。
ほぼカメラの位置が決まり、固定作業と配線は昼食後にまわす。
食事に出る時、コンビニに買物に出る時にはお隣近所の方々と会う。皆さん、にこにこと挨拶を返してくれる。
食後はカメラの固定と配線作業。電線は視界に入らないように丁寧に死角に配する。前もってコンパネの下にくぐらせておいた線を結線する。電源をつないだPC、DVDデッキ、送信機などをすべて起動させて動作チェックをして行く。展示が着実に進んで行くよろこび。体力的には厳しいが、気持ちが静かに高まる。
さて、いよいよMorigamiを差し込んで行くための造作を始める。床面に貼ったコンパネに12ミリ径のドリルで穴をあけ、そこにダボを差し込む。そのダボに折り紙を差し込む仕掛けだ。全体のバランスを四方から確認しながら作業を進める。300〜400カ所ほどあけただろうか、さらに植えて行き広がる余韻を持たせて、穴あけをひとまず終わる。穴と同じだけのダボが要る。手のこで300本切る。ここで時間切れ。明日の作業を頭に描きながら、メモに描きとめる。
夜、ひさしぶりに行きつけの炭火串焼きの美味しいお店に行く。マスターが「あ、どうも、ひさしぶりっす!」とさわやかに出迎えてくれる。カウンター席に座ってマスターとおしゃべり。なんでもマスターは初年度の大地の芸術祭でボランティアをしていたとか。初耳だー。
このお店に初めて入ったのは中越地震があった年の冬だった。今日と同じ席で一人飲んでいると、冗談まじりのお客さんのお話が耳に入ってくる。「地震の時、タンスが倒れてきて死ぬかと思ったわー。」「揺れがとまったあともまだ揺れているような気がしてー。」耳にした時、自分が大地の芸術祭でなにができるのだろう、と考えた。全く先が見えないながらも、前に進もうと思った時にいた店。
以前、寄った時はおいしい年代物のウィスキーをサービスしてくれた。なんか、あの時は随分とおしゃべりしてしまった。
いつも注文する生タコの唐揚げを食す。これを今一番食べさせたいのはあいつ。体調を崩しているスタッフ平松に。

ひたすらマシンのように穴を穿つ

ひたすらマシンのように穴を穿つ

妻有直前準備

2009年 7月 17日

米どころの田の美しさは格別

米どころの田の美しさは格別

このブログは妻有地域(新潟県十日町市+津南町)にある空き家「やさしい家」で書いている。私たちやさしい美術プロジェクトは新潟県立十日町病院に医療環境と地域に密接したアートとデザインの取り組みをしている。病院内は一般公開せず、近くにお借りすることのできた空き家で活動の様子を公開するほか、企画展やワークショップを行う。
このやさしい家に、すでに光ファイバーがつながっている。さらにサーバーが整備され、ここからライブ中継で森をつくるおりがみMorigamiが人々の手によって育ってゆく様を配信する。実験的で先鋭的。そして根源的。
すでに現地入りしていた5名のメンバーとスタッフ。私は朝8:20の新幹線に乗り、東京、越後湯沢、六日町を経由して十日町入りした。なんと12:00に到着。乗り継ぎが余裕がなく、毎回走ったものの4時間を切るとは…。
駅から徒歩10分あまり。やさしい家に着くと全員が作業まっただ中だ。作業は早いとは言えないが、展示に向けてそれぞれ精一杯がんばっている。食事後に私は奥8ギャラリーの企画展、「Morigami園」の床面のコンパネをベージュにペイントする作業にはいる。こうした作業は慣れているのであっという間だ。ペンキの乾燥を待っている間に他の展示の打ち合わせをする。そうこうしているうちに先発隊の帰る時間になる。

すっきりと晴れることが稀な妻有の空

すっきりと晴れることが稀な妻有の空

16:30 レンタカーに乗り込み先発隊は名古屋に向けて出発。
私はMorigami園の床貼りのためにペンキの乾いたコンパネを敷く。端の見切り部分の仕上げのための材を川島に用意してもらっていたが、検討の結果使えず、新たに材料を買うためにホームセンターに徒歩で向かう。
テーブルを前8ギャラリーに置き、様々なワークショップに備える予定だが、すべて同じ大きさの丸テーブルでは単調な気がする。少し大きめのテーブルの天板も購入する。それに古色仕上げをするためのステインも購入。この時点で歩いて運ぶには酷な状況となる。
夕食は近くのそば店へ。生ビールを飲み、ヒラメの刺身、なすのチーズみそ焼き、ルッコラと生ハムサラダ、そしてかけうどん。ちょっと食べ過ぎたかな。明日は重労働だ。明日一日でカロリーはあっという間に燃焼するだろう。

近所のホームセンターはまるでインスタレーション作品

近所のホームセンターはまるでインスタレーション作品

境目

2009年 7月 16日

灯りと自然光の境目

灯りと自然光の境目

チベットをヒッチハイクで旅行した時だ。高山病には至らなかったが、砂地にスタックしたジープをチベット人と一緒に押した。酸素は平地の半分ほど、さすがに息がきれる。そして走り続けるジープの中で夜を迎えようとしていたとき。走る方向からは月がゆっくりと地平線からのぼってくるのが見える。ふと振り返ると太陽がまさに沈もうとしていた。この時ほど一日の終わりを感じたことはない。これ以上そぎ落とすことができないほどシンプルで、そして美しかった。
ネパールを旅していた時のことだ。カトマンドゥの安宿に泊まり、夕焼けをぼんやりと見て楽しんでいた。陽は沈み、空はゆっくりと紺からより深い紺へ、そして漆黒に向かっていく。視界を真上にとると東から西へ高密度なグラデーションが楽しめる。私たち人間はこの境目を「昼」と「夜」に分けてしまう。その境目はとてつもなく滑らかに推移して行くグラデーションだ。人がつくる境界なんて精度の悪いフィルターから見た世界で、浅く、薄っぺらだ。それは全身を使って感じれば誰でもわかること。
そんなこと、しばらく考えていなかったな。いそがしさにかまけて全身を感覚のアンテナにして解放してやることを忘れていた。
さきほどのエピソードとは情景は異なるけれど、境目のグラデーションを感じた一瞬をカメラにおさめた。

明るさと暗さの境目

明るさと暗さの境目

尊いということ

2009年 7月 13日

見つけた光のかけら。

見つけた光のかけら。

美術の世界にいると、作品の結果を求めたくなる。
「認められたい」という気持ちが生まれるのは極自然なことだ。
当然のことながら、アートの世界で云われる頂点は、存在する。到達できる人もいれば、到達できない人ももちろんいる。アーティストの営みには、美術界では表に現れて来ない部分がある。できあがった作品はすべてのプロセスの上に成り立っていると言って良い。それは見えない歴史の積み重ねの上に乗っているとも言える。
アーティストの多くは実はプロセスを大事にしている。どのような道筋が待ち受けているのか、どのように歩んでゆくのか、達成されたと思ったと同時に達成すべきものはそこになかったとか…。じつはこうしたプロセスで感じる実感は語られることが稀だ。タブーと言っても良い。
彫刻を教わった原裕治氏の作品制作を手伝いながら浪人生活を送っていた頃のこと。日の出ている間は原氏の仕事を手伝うのが日課だった。それ以外の時間が自分の制作時間だった。
驚くべきことに、原氏はその作品を毎日完成させていた。しかし次の日には見事にそれを破壊し、削る、付けるの繰り返しだ。5年も6年も向かい合っている作品は何百回と完成の時を迎えていたのである。
止める人がいなければ、終わりはない。アーティストの探求とはそういうものだ。それを私は教わった。
一言で云えば、その営みは 尊いのだ。
私はその尊い存在、狂おしいほどの情念をそこに見出せれば、惜しみなく力を注ぎたい。

捨ててしまうゴミのなかにも美は存在する

捨ててしまうゴミのなかにも美は存在する

これが、やさしい家バナーだ

2009年 7月 11日

ビンテージ感すら感じる、バナー

ビンテージ感すら感じる、バナー

昨日写真を撮っていなかったためアップできなかった、やさしい家のバナー。
どうですか、この味わい深いインディゴブルー。抜き文字になっているため、文字周囲にくっきりとした染料の発色があり、なんとも美しい。
パソコンソフト上のパスをベジェ曲線で描く作業でロゴは制作され、それを布地にトレースダウンしていった。最後のところ、フリーハンドで丁寧に写し取って行った曲線はコンピュータ上の数学的曲線を越えている。
染めの作業は横井教授の長年の勘と経験によるものだ。
手作業の勝利である。

いろいろなものが届く

2009年 7月 10日

今日はプロジェクトルームにいろいろなものが届いた。
まず、Tシャツ。これは妻有で、大地の芸術祭期間中メンバーが着るものだ。これからシルクスクリーンでロゴと地図を刷り込む予定。Tシャツを着て、町中をランニングすることになっているが、果たして走りきることができるだろうか。
次に、段ボール2箱。これは香川県大島から届いた荷物。先週行ってきた大島から山本さんの「大島焼」6点が届いたのだ。これらの陶芸作品は「やさしい家」で展示する予定。
続いて届いたのはベージュのケース6箱。これは森とつくるおりがみMorigami(もりがみ)の折り紙キット(スティックのり、印刷された折り紙)を容れる箱だ。足助病院と十日町病院に設置する予定。
まだまだある。昨日届いた染料を用いて、染色室にてやさしい家のバナーを染めた。最初は出力センターで注文する予定だったのが、シルクスクリーンでの印刷に変更。染色の横井教授に相談したところ、せっかくなので染めよう、ということになった。バナーは屋外で風雨にさらされるため、退色しにくい染料を注文して、作業にとりかかった。でんでんの男組が工房で意気揚々と作業をしている。
染め上がったバナーのかっこいいこと!(今回、写真撮ってないので、後日公開します)

大島 オロナミンCと焼き物

2009年 7月 4日

入所者の作品、かぼちゃをいただく。

入所者の作品、かぼちゃをいただく。

ぐっすりと熟睡。井木は朝早くから浜辺で流木拾いをしてきたとか。私は8:00近くまで寝ていた。
8:00 朝食。
8:30 青松園福祉課で働くAさんが面会人宿泊所に来てくれる。勤務時間外で私たちの活動につきそっていただいている。
9:00 大島内の古い建物は今は使われなくなった面会人宿泊所や厚生会館などの建物を見て廻る。その後は大島北部の山間に行き、畑作業をしている入所者の皆さんに会いに行く。大島で大切に育てられた野菜も大島の表現。それらを作品として発表するための取材だ。
お二方の入所者にお会いすることができた。畑に出て野良仕事をしている入所者の皆さんは社交的でとても明るい。ある入所者の方からオレンジ色のカボチャをありがたくいただく。
お菓子づくりの名人と言われる、入所者の方にもお会いする。まずはごあいさつから。その後は昔から大島でできた野菜から漬け物を作っていた入所者の方からもお話を聞く。昔は高さ5mもある漬け物樽に漬け物を漬けていた時代もあったそうだ。そう、漬け物も私たちの活動、作品の一つとなる予定だ。
道ばたで、陶芸クラブの一人である入所者の方とごあいさつする。午後は時間があるとのこと、お宅にお邪魔してお話を聞くことになった。

職員Aさんの即席ぶっかけうどんは最高!

職員Aさんの即席ぶっかけうどんは最高!

お昼になり、一旦面会人宿泊所に戻る。今日の昼食は福祉課職員のAさんがうどんをごちそうしてくれるとのこと。何から何までお世話になりっぱなしだ。地元の皆さんは冷凍麺を良く食べるとのこと。さっと湯がいてめんつゆを文字通りぶっかけて生卵を落として出来上がり。これがめちゃくちゃうまい!大島で食べたうどんはまた格別だ。
13:00 福祉課職員Aさんとお別れして、午前にアポイントをとった入所者のお宅に向かう。
廊下から入り、「ご免下さい。」と引き戸を開けると、部屋奥の縁側で外に目をやるMさんの姿があった。時間になってじっと外に目をやり、私たちを待っていてくれたのだ。胸がきゅんと締め付けられる。
ベッドには数点の陶芸作品が置かれている。これまで制作した作品のなかでも気に入ったものをとってあるらしい。なかでも瑠璃色の壷がひときわ目につく。作品名は「深海の語らい」。すばらしいネーミングだ。入所者の生活についてや陶芸クラブの想い出を聞く。数日間霧の影響で高松から船が出ず、寂しい想いをしたというお話を聞き、その時の入所者の皆さんの心情を想像する。家族から断絶され、人知れずここ大島に連れて来られたMさん。どれほどさびしかっただろう。
Mさんはとてもチャーミングな方だった。作品にお人柄が出ている。山本さんの作品は豪快で力強い。Mさんと一緒に病院内のリハビリに隣接する陶芸室に行く。ここでしばらく陶芸論をうつ。Mさんはとても楽しそうだった。私たちもその表情を見てうれしくなってくる。本当に楽しい語らいの時間。
私たちは美術作品を制作して行くが、このようなひと時を作品や企画を通して実現できるかが、これからの課題となる。私たちだけでは、島を公開する意味は半減する。
Mさんと再会を約束してお別れする。「お話を聞いてくれてありがとう。」とおっしゃるMさん。とんでもない、私たちが感謝する方だ。ちょっぴり切ない気持ちになる。
面会人宿泊所に戻り、荷物を整理する。
今回の大島訪問により、プロジェクトは大きく前進することになった。いよいよ、具体的に動いて行くための計画、準備、制作が始まる。身体の芯から力が漲る。

入所者Mさん宅にてオロナミンCをいただく。

入所者Mさん宅にてオロナミンCをいただく。

作品「深海の語らい」

作品「深海の語らい」

大島に咲く花も作品となる。

大島に咲く花も作品となる。

大島から矢竹島をのぞむ。

大島から矢竹島をのぞむ。

大島 企画発表会

2009年 7月 3日

徹夜で企画書を仕上げる。一睡もしていないが、企画書が完成した喜びと緊張感で心はさえわたっている。
5:30 奥さんが起きてきて肉みそいためを作ってくれる。玄米にサラダ、早朝からがっつり食べる。
7:00 名古屋駅に着く。高松までの切符を買い、同行する井木と泉にわたす。
7:30 博多行きに乗り、岡山へ、9:34発のマリンライナーで高松まで。
高松で当日の夕食、翌日の朝食を買い込んでおく。
11:10 高松港の桟橋からせいしょう丸に乗り込む。私たちやさしい美術の3人に加えて、香川県庁の宮本さん、高松市の住谷さんと合流。そこで初めて聞いたが、香川県の人権啓発課の面々も企画発表会に同席されるとのこと、9:00の船で一足先に大島入りしているそうだ。
11:30 大島に着く。久しぶりの大島。インフルエンザの影響で約二ヶ月訪問を自粛していた。すでに自治会長の森さんや副会長の野村さん、懇意にさせていただいている脇林さんや山本さんら、入所者の皆さんには電話で連絡してあるが、皆さんお元気だろうか、お会いするのが楽しみだ。
面会人宿泊所に荷物を置き、職員食堂セイブで唐揚げ定食を食す。新しく住居棟センターを建設中で建築現場の職人さんも混じって食事している。食堂のおばちゃんはとっても忙しそう。
13:00 企画書を携えて自治会事務所の会議室に向かう。声がかけてあった入所者の皆さんは勢揃い。瀬戸内国際芸術祭に向けての「企画発表会」と銘打っていたので、今までの会議とは全く空気が違う。和やかさの中にあきらかに集中度がある、というか。
早速30分をかけて私から大島での活動計画を企画書に沿って説明申し上げる。これまで私たちが何度も大島に通い、入所者の皆さんから伺った話、取材した大島という存在をどのように捉え、そして芸術祭でどのように外に開いて行くか。それぞれの作品プランはこの大島を開いて行くという一連の動きに無理なく組み込まれたもので、なおかつ入所者の皆さんにとって適切で快適なものでなければならない。企画名は「つながりの家」。
説明の間、特に入所者の皆さんは食い入るように企画書に目を通し、集中して私の説明に耳を傾けている。私の気持ちにくもりは一点もなく、自信を持ってお話しさせていただいた。
企画説明のあと、活発な議論となる。入所者の皆さんはこの大島での今までの経験も含め、様々な想いを語られる。全員が一度に意見を言う場面もあり、一時騒然となる。何よりも、この「つながりの家」の企画内容に賛同し、協力をして行きたいという気持ちの顕われだろう、私は内心うれしさがこみ上げていた。
様々な検討事項はあるものの、自治会長の森さんからは「充分実現可能だ。」との言葉。瀬戸内国際芸術祭に絡めて直接自治会への問い合わせもあるが、今後は「大島青松園はやさしい美術プロジェクトで、行く。」という確認に至った。議論はなんと3時間も続いた。香川県、高松市の面々は16:30のまつかぜに乗り込み大島を後にする。
私は入所者の山本さん宅にお邪魔し、陶芸作品6点を選び、大地の芸術祭の関連で準備中の「やさしい家」に展示することを約束する。
面会人宿泊所で泉、井木と今日あったことを振り返り、これからのことを話し合う。福祉課で働く職員Aさんは青松園で毎日入所者の皆さんのお世話をしている立場から貴重な意見をいただく。本当にありがたい。
夕食時はさすがに昼の緊張感から解き放たれて、睡魔が襲ってくる。食べている実感が無いわりに、翌日食べる予定のパンまで食べてしまう。
お風呂に入り、11:00就寝。

大島には様々な草花がいつも咲いている

大島には様々な草花がいつも咲いている

山本さんの作品は大島の土を焼いたもの。

山本さんの作品は大島の土を焼いたもの。