Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 9月 4日のアーカイブ

大島 土づくりワークショップ 2日目

2009年 9月 4日

大島から見た朝日

大島から見た朝日

5:30 起床。朝日を写真に撮ろうと東側の砂浜に行く。雲が少し出ていて、すでに空はかなり明るい。しばらくすると太陽が島の上にひょっこりと顔をのぞかせた。実はまともに朝日を撮ることができたのが初めて。ひょっとして日の入りも撮影できるかも。むろん宿泊しなければ大島からの朝日も夕日も拝めない。
面会人宿泊所に戻ると、皆めいめい浜辺にビーチコーミングに向かう。ガラスの破片、流れ着いた容器、貝殻、丸くなった石を拾ってきている。
9:00 朝食の後まずは入所者自治会に行く。まだ誰も来ていない。作業の流れは昨日でつかんでいるので、福祉室作業部のガレージに行き、作業の続きを始める。洗った粘土の塊を砕き、それに水を加えて撹拌器でかき混ぜて泥升を作る。それを篩にかける。
作業を分担する。上記の荒い篩にかけられた泥升をさらに細かい篩にかけてゆく。きめ細かく選別された泥を布で濾して粘土の精製作業は一段落。その後は土練機にかけられて作業に適した粘土になるまで寝かしておく。
篩の作業を入所者山本さんに手ほどきを受けながら、楽しくこなして行く。

天日干しされる前の段階

天日干しされる前の段階

午前中にはすべての粘土を泥升にして篩にかけることができた。午後は残りの細かい番数で篩にかける作業を進める。
14:30 まずは今回の目標である土練機にかける前の段階まで作業は完了する。全身どろんこ、作業着は着替えていないので相当汗臭い。面会人宿泊所に行き全員着替える。女性陣はシャワーを浴びる。
15:00 大島会館に行く。自治会事務所の真向かいにある、集会所、公会堂、会議室を兼ねた公共施設で、週に一回のみしかも15:00〜16:30だけ喫茶室が開設されている。私たちは入所者の皆さんと交流を深めるため、この臨時喫茶室に行く。会議室はちょっとしたテーブルクロスで喫茶室に様変わり。青松園の職員さんが切り盛りしている。一番奥の席には昨日夕食が一緒だった曽我野さんがどっしりと座っている。早速コーヒーをいただくと同時に隣のテーブルからはビールがまわってくる。ここで山本さんと合流してしばらく談笑。こうしたひとときがとても大事だと感じる。私たちは大島にカフェを作ろうと考えているが、きっと入所者の皆さんは喜んでくれる。

かき氷いちごをうれしそうに食べる山本さん

かき氷いちごをうれしそうに食べる山本さん

山本さんから昔の大島の話をうかがった。私は東の浜辺にある船小屋のことをたずねた。昔は船を出して釣りや素潜りによる漁をよくしたそうだ。島周辺には潮の流れが早く、危険なところも多いと聞く。そこへわざわざ潜りに行くのだ。自暴自棄になって自身の運命をのろい、「もう、どうなってもいい。」と思っている自分と「ここで海に入ると危険だ。」と冷静な自分がいたそうだ。いつ死んでもいい。それほど辛い日々を過ごしながら、それでも「生」への反応が自分の中に芽生える。そういう自分をまた、発見する。大島という現実から少し離れること。それは、数奇の運命(それも法律により人為的に翻弄されたといってもよい)を客観視することだったかもしれない。いや、きっと何人かは向こう岸に行った人もいるかもしれない。向こう岸にも行かず、大島にも戻らず、永遠の船出に漕ぎ出した人もきっといたはず。そんな想像も単なる想像であって、今お話ししている入所者の方々がまぎれもなく体験してきたことである。
16:20 井木と川原が名古屋に向けて大島を出発する。取材同行していた若林さんともここで別れる。
菅は浜辺にビーチコーミングに行くという。私は朝の期待を胸に日の入りを撮影に行く。
朝とは反対側西側の浜辺に三脚を立てて撮影。思った通り夕日を撮ることに成功。
18:00 職員食堂セイブに行くと、小さな宴席が設けられている。そこには見慣れた顔があった。官用船せいしょう丸の船長、曽我野さん、セイブのおばちゃん、福祉室の西嶋さんらだ。そこに曽我野さんが40年来の付き合いだという大阪からみえたAさん親子がいらっしゃった。大島のこの数十年の変遷をご飯を食べながら、聞く。
船長は私と同い年であることが判明。曽我野さんは昨日よりもずっと楽しげだった。
面会人宿泊所に戻り、今日あったことを菅と話す。いきなり何の予備知識もないまま、大島にやってきた菅はようやく自分の今いる島の状況が見えてきたようだ。
0:00 就寝。

大島から見た夕日

大島から見た夕日