Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 8月のアーカイブ

再び妻有へ

2009年 8月 7日

大島から帰って来た翌日。家族とともに自家用車に乗り込み妻有へ向かう。
8:30 出発。恵那のあたりで集中豪雨に見舞われるものの、帰省ラッシュの影響はほとんどなく、スムーズに妻有まで行く。
14:30 やさしい家到着。早速研究会の準備にとりかかる。私たちが到着して間もなくシャトルバス組の学生とスタッフがやさしい家に着く。必要機材と資料を持参して十日町病院に向かう。

筑波大学学生による院長インタビュー

筑波大学学生による院長インタビュー

15:30 研究会を終えて応接室に向かう。筑波大学の学生たちが取材とインタビューに来ているのだ。筑波大学には「アスパラガス」という病院を舞台にしたアートとデザインの取り組みを行っているグループがあり、私たちと同じように昨年までGPの選定を受けて活動をしてきた。その参加学生二人は以前やさしい美術プロジェクトの活動施設を見学し、今回は卒論のため取材に来るとのことだったが、急遽看護学部、医学部の学生も同行し、総勢8名がやってきた。
応接室に入ると、塚田院長がリラックスして学生たちと話をしている。上座にどっかりと腰掛けるのでなく、円座になってグループディスカッションをしている雰囲気だ。さすが塚田院長、学生たちの緊張を解いて打ち解けた空気が自然と作られている。私は院長の横に腰掛けてインタビューが始まった。
アスパラガスの二人からは院長に向けて「医療者として病院がアート・デザインに取り組むことをどう考えているのか。」「アート・デザインという異分野が病院に入って来て病院はどのように変わったか、どのような効果があるとお考えか。」などの質問が投げかけられた。それに院長は上から押えつけることなく、率直に、そしてユーモアを持って接しているのがとても印象的だった。院長の言葉の中で「看護師が一番患者さんの近くにいて人間と接している仕事。そこには広い意味でアートが必要だ。」「大学で研究し、論文を発表し、実績を積む。技術を高める。これは当然大事だけれど、最終的には人と出会い、接するということに尽きる。私は阪神大震災の現場で従事したときに、人と接するという体験をした。だから、大学を離れて現場で働くことを選んだ。」ここでおっしゃる「アート」の意味は「美術作品」という枠組みに必ずしも重ならない。創造性、想像力、自発的行動と工夫といった広義を指していて、それが医療では置き去りにされてしまう問題である、という見解が背景にある。塚田院長のコミュニケーション能力や信頼感に裏打ちされている経験は並大抵のものではない。私はこうした方々と出合う機会に恵まれたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。医学部の学生たちが実際にインターンで勉強している中で疑問に思うこと、不安に思うことを塚田院長にぶつけていた。それは院長の包容力と信頼感が全身から漲っているのを感じたからだと思う。

2階屋上のアサガオを眺める。早く花が咲いて欲しい。

2階屋上のアサガオを眺める。早く花が咲いて欲しい。

インタビューの後はスタッフ赤塚に院内見学を任せ、私はやさしい家に戻る。今日、明日で奥8ギャラリーの企画展展示替えとMorigami山とMorigamiカメラ、十日町病院にMorigami並木道を設置しなければならない。まだまだ気は抜けない。
なんとこの日やさしい家に泊まるのは19名。荷物と布団と洗濯物にまみれた人間がごろごろと寝ている。でも、楽しい。

大島 施設リサーチ

2009年 8月 6日

浜辺で拾った宝物たち

浜辺で拾った宝物たち

7:00起床 長女美朝は熱があり、午前中は奥さんと一緒に休むことにする。私は長男慧地と井木とで海岸を散歩する。きれいな貝殻、透明な石、マット状になったガラスの破片などを拾う。
10:00 事務長室に行く。瀬戸内国際芸術祭での取り組みを私は「つながりの家」と名付けた。つながりの家を実現するためには大島の施設を有効活用して行きたい。中身の空っぽな新しい建物を作るのではなく、入所者の方々が暮らして来たその面影を感じとることができる、コミュニティースペースやギャラリーを作る。「ないものをつくる。あるものをつかう。」とは、瀬戸内国際芸術祭が打ち出しているモットーである。
入所者の住居寮や使われていない面会人宿泊所を隈無くリサーチする。
古いものがほとんど残っていない大島。離島で、なおかつ小さな大島には保存、保管をするスペースはない。古いものは使う人がいなくなれば、廃棄し、ぬぐい去って、新しく塗り替えられる。大島を構成している風景は日本という国をある側面から捉えた姿にも見える。

今は使われなくなった15寮

今は使われなくなった15寮

座席の空きがなくザックを椅子代わりに

座席の空きがなくザックを椅子代わりに

大島 納涼祭り

2009年 8月 5日

「大島焼」の陶土精製はすべて手作業だ。

「大島焼」の陶土精製はすべて手作業だ。

7:37の新幹線に乗って大島に向かう。私は家族4人で、井木も一緒だ。名古屋駅は思いのほか混んでいる。
いつも通り10:30頃に高松に着く。家族ではじめて瀬戸内の海をわたる。いつも大島のことは話をしているので、緊張はない。
11:30 大島の着く。桟橋ではすでに花火師の皆さんがセッティングをしている。島に入るとびっくり。見事に出店が並びにぎやかな空間になっている。福祉課の皆さんが中心になって一週間前から準備を進めてきたそうだ。
まず、福祉課に行き、面会人宿泊所に泊まる手続きをする。納涼祭りが行われる今日、かなりたくさんの方が大島に泊まる。福祉課室長西嶋さんに会う。明日行う予定だった企画検討会を今日に開きたい、とのこと。今回は施設活用について可能性を探っておきたかったので今日打ち合わせることができれば、明日にプランに照らし合わせて施設の見学と検討ができる。
昼食後、入所者自治会事務所に行く。自治会長森さんをはじめ、入所者の皆さんと事務所の皆さんが集まる。私と井木でカフェプラン、ギャラリープランを説明する。まだ、正式にどのような施設を使用して何を行うのか、決定していないため、詳細は後日報告することにする。驚いたことに前回の検討会で提案した大島で採れる陶土による「大島焼」のために入所者の山本さんと福祉課の皆さんですでに土づくりに着手していたことだ。前向きの捉えていただいているありがたさをかみしめる。これに甘えないで私たちももっと島に通ってお手伝いしなければ。

大島納涼祭り 年に一回の大イベント

大島納涼祭り 年に一回の大イベント

さて、17:00 納涼祭りがはじまる。食券を買って飲み物やおつまみを購入する。長男慧地はやきそばを食べたいと言う。私は生ビール。焼トウモロコシは子どもの頃の憧れだ。開催にあたり、香川県知事、徳島県知事、高松市長が相次いでごあいさつ。踊りの披露やブラスバンドの演奏まである。入所者の皆さんも一年に一回のこと、普段私たちが訪問している間に会ったことのある方、ない方、たくさんの方が宴の席につく。私は自治会長の森さんと曽我野さんとご一緒する。途中、瀬戸内国際芸術祭に興味を持った方や私の故郷である愛知出身の方に声をかけていただく。私は私の家族を皆さんに紹介できることが何よりもうれしかった。最初は少し緊張気味だった子どもたちも次第に打ち解けてくる。この島でかつて「大島案内ひきうけ会社」という来訪する人々を島内でガイドしていた。その役割をひきうけた当時の小学生たちに会うことができたのだ。年長の子は中学3年生。この子どもたちにも私たちの取り組みに参加してもらおうと思っている。子どもたちを指導していた佐々木先生にもお会いすることができた。やさしい空気が全身から発せられている方で、想像のとおり、すてきな方だった。
20:00から花火があがる。桟橋からあがる花火は至近距離で観ることができる。これらの花火はこの大島で亡くなられた入所者の皆さんの寄付によって成り立っているそうだ。
いのちの火がぱっと燃え尽きるような、切なさと美しさを、感じる。

これほど可憐な花火を観たのははじめてだ。

これほど可憐な花火を観たのははじめてだ。

お墓参りと準備

2009年 8月 4日

カブトちゃんを放してきたところ

カブトちゃんを放してきたところ

朝、家族でお墓参りをする。お盆は妻有にいるので、今のうちに皆に会っておこう。
大学でMorigami並木道の作業をしていたら大きなカブトムシのおすを見つけた。しばらく家の子だったが、お墓参りのついでに森にカブトちゃんを放す。
午後、事務的な仕事に追われる。スタッフが帰った後、明日の大島行きの企画書類をまとめ、今終わったところ。
明日の大島。家族も行くのでほんとに楽しみ。大島の納涼祭りに参加するのだ。

一枚一枚丁寧に企画書を綴じ込む

一枚一枚丁寧に企画書を綴じ込む

夕陽に自販機

夕陽に自販機

子どもの療養環境研究発表会 座長

2009年 8月 2日

会場には全国から医療関係者が集まる

会場には全国から医療関係者が集まる

8:00 自家用車で出発。今日は大府の「あいち健康プラザ」で開かれる子どもの療養環境研究発表会に座長として出席する。本研究発表会で一昨年、名古屋市立大学教授の鈴木賢一さんよりお誘いがあり、10分ほどやさしい美術プロジェクトについてプレゼンテーションした。座長をつとめるほどの人間ではないけれど、皆さんのお話に耳を傾け勉強するつもりで現地に向かう。
9:30 開演。一般口演が20組も並ぶ。しかし、どの取り組みもすばらしい。現場で必要なことは何かという立場に立ち、必要とされていることを実行する。場合によってはそれを司る制度をも変えて行くという能動的な動きが強く感じられた。具体的には子どもたちが入院、通院する際に子どもの人権を守り、弱者に陥りやすい子どもたちの絶対的な味方となることで、治療に専念し、療養環境であっても発達を促し、生きることを楽しむことができる。
海外の事例の発表もあった。日本ではCPS(チャイルドプレイスペシャリスト)という言葉がようやく聞かれるようになったが、海外、特にイギリスでは10床の患児に対し、一人のCPSが義務づけられているとのこと。もちろん、国家資格が取得できる職業として社会的に認められている。一方で日本では実験的に始められている病院があるものの、仕事という認識さえ育っていない。資格制度も整備できていない状態だ。子どもの療養環境では看護師さんと保育士さんが必要になる。そのことさえ、理解が浸透したとは言いがたい。驚いたのは、アートやデザインが入っていなくても、それぞれの病院で行われている行事や掲示物、装飾物のプロデュースが相当に工夫が凝らされていることだ。こうした現場にアーティストやデザイナーが入って行けば、さらに成果が期待できると感じた。それと同時にアーティストやデザイナーが医療の現場と関わりながら、その現実を肌で感じていなければ、形だけの薄っぺらな取り組みになってしまう恐れがある。領域を越えていくためには根源的な世界と対峙し、その重みをしかと受けとめる情感(センス)がなくてはならない。双方にその礎があれば、どのような領域の協働も実現可能だと思う。それはやさしい美術プロジェクトの活動が証明している。
子どもに配慮することを考えることは子どもの家族のことを考え、家族が生活を営む社会を考えることにつながる。大変勉強になった。
17:30 終了。ぶっ続けの発表会。
心地よい疲れがやってくる。