Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 8月のアーカイブ

食缶を磨く

2010年 8月 9日

松の木陰で食缶を磨く

またもや快晴。朝から来場者が続々と来島。
インフォメーションの仕切りをしたあと、ギャラリーに行き研磨作業。食缶の研磨を残している。午後にAFG高坂さんがやってくる。今日は制作のサポートで来てくれた。食缶の研磨作業を松の木陰ですすめる。途中、浜口さんがやってくる。
おかげで食缶の研磨作業を完了。
16:15高松便最終を見送る。

濃い日

2010年 8月 8日

快晴。風つよし。
なんとなく感じていたことだが、来場者の皆さんを見ていて、客層はおちついたカップル、親子連れが多いことに気付く。ギャラリーで研磨作業しているところに植村光男さんがやってくる。植村さんは大島に縁の深い方。ハンセン病問題を考える市民の会副会長。奥さんは大島出身。植村さんが大島に仕事で入られたのが50年前で、当時は入所者に平常では会えず、面会の手続きなども相当に難しい隔離状態だったそうだ。その後大島にあるキリスト教霊交会を通じて交流を継続され、らい予防法廃止の頃は売店店長を務められた。入所者にも職員にも人望の厚い方だ。毎年行われるカラオケ大会に参加し、入所者の皆さんとの親交も深い。植村さんには般若心経をいただいた。私も中学1年生のころに母の指導のもと初めて写経をしたのを憶えている。この重みは理解しているつもりだ。ありがたい。
11:30 2便が33名を越える来場者。説明を行う厚生会館が人でいっぱいになる。植村さんとお話が途中だったので、ガイドは小坂くんにまかせる。
13:25 まつかぜに乗って高松へ。11時便があまりにも来場者が多く、今日来島する予定の学長夫婦が無事に船に乗れるか不安になり、迎えにいくことにした。桟橋でNHK中野アナウンサーご一行と出会う。学長、出航ぎりぎりに乗船。船内で森さん、安長さんと談笑。学長も会話の輪に入り楽しんでいるようだ。
大島につき、納骨堂、風の舞をまわり、ギャラリーへ。約1時間をかけて学長らをご案内。大島の取組をしっかりと鑑賞してもらう。最後にカフェへご案内した。しばしリラックスタイム。学長の奥様がドリンクを楽しみながら、「なにもかもやさしいね。」とおっしゃった。カフェが大事にしている空気感を感じ取っていただけたのがうれしい。
その後、中野アナウンサー一行がカフェを見学。同行されていた方に大島の取組を「希望の活動ですね。」との言葉をいただく。うれしい。
18:00厚生会館にて勉強会。こえび隊4名、やさ美私含め3名、AFG高坂さんの8名参加。講師は野村さん、森川さん。ルートに沿ってポイントを絞って質疑応答。判然としなかったこと、疑問点、お客さんからいただいた質問をもとに、丁寧にお答えいただく。とても充実した時間。21:00終了。小えび隊一行は事務局船で高松へ。なんと濃い日だったことか。

ふたたび納涼祭 母と妻とこどもたち 

2010年 8月 4日

安長さんと泉、井木

今日は納涼祭。朝から職員、業者が頻繁に出入りして野島公園周辺に露店、テーブルを並べる。
9:30 朝一便で母と叔母、母の書道教室生徒さんお二人で大島来訪。一般来場者もう一方の参加だったため、高橋直々に大島を巡るガイドツアー。
13:25 桟橋で母一行を見送る。山本会長に船の窓越しに紹介する。
14:20 妻の真奈美、慧地、美朝来島。野村ハウスでまったり。浜辺で貝やシーグラスを拾う。このところ慌ただしかったのでゆったりとした時間が染み込んでくる。こどもたちをしっかりと抱きしめる。
18:00 納涼祭。カフェ運営メンバーの泉、井木は浴衣姿。
私はあちこちのテーブルで飲み歩く。安長さん、大智さん、野村さん、上原さん、佐々木先生、森さん、皆さんの話に耳を傾けながら祭の空気を満喫する。
20:00 花火が始まる。泉、井木は納骨堂から観たそうだ。私たち家族は浜辺に腰掛けて観る。私は花火が大好きで一夏で10カ所はしごして観に行ったことがある。その頃はバイクに乗っていたので渋滞もなんのそのでどこにでも出没した。
その中で岡崎の花火は規模、演出すべてにおいて一級品。大島の花火は規模は小さいけれど、瀬戸内の海に映る花火を観るのは格別のシチュエーションだ。この美しさを家族で楽しむことができたことが最高に幸せ。
夜、久しぶりに雨が降る。作業のため外に出しっぱなしだった、研磨中の五右衛門風呂をストックヤードへ入れる。五右衛門風呂は大島で何に使われたのか不明だったが、何人かの入所者の話から、以前あった豚舎で豚に食べさせる残飯をあたためるために使用したことが判明した。離島である大島だからこそ、ここにあるものはすべてが大島の記憶と時間を内包している。

大島と足助

2010年 8月 3日

夏祭りの準備で野島公園付近は屋台が並び始める。

AFG高坂さんとガイドを担当いただいている小えび隊シフトについて打ち合わせ。当初計画したガイドつきの一般公開を理想形とし、そのかたちに近づけていくプロセスとして新しいメンバーにスポット参加していただく。コアで関わるメンバーが少なくて、トラブルの対応に追われるほか、代わりがいないというプレッシャーものしかかっている。まずはこのコアで関われる層を厚くすることを手始めに行っていかなければならない。
来場者と眉山亭で話す。「芸術祭後は大島はどうなるんですか?」「将来の構想は?」と質問があがる。そう、現時点では何も決定事項がない…。気持ちだけでは前に進まない。厚生会館で雑誌編集者小西さん一行と話す。島を紹介するマップを制作するとのこと。こうした情報を発信する人々が積極的に大島を訪れることがとても大切だ。興味を持ち、他者の目でなく、自分の目で確かめる。シブ大の近藤ナオファミリー来訪。
クローズ後、研磨作業。船外機のプロペラが研磨を終える。入所者の安長さん、浜口さんが作業中に様子を見に来る。「暗くなったら早く帰ってこいよー。」大島のお父さんである。
足助相談日の報告がメーリングに流れる。しっかりと準備をしてきたメンバー森の「にがおえ会」が足助病院で開催。患者さんとの交流が深まり、なごやかな空気が生まれたそうだ。今後に期待!!

復活!大島案内ひきうけ会社

2010年 8月 1日

朝一の庵治便で吉田こうせいくん、原田わたるくんらが来島、桟橋でばったり前事務長森英世さんと会う。まだ大島に来るようになって間もない頃、入所者にアポイントをとっていただくなど、大変お世話になった方だ。お元気そうで何より。
9:30 高松から佐々木広子先生、野崎えみ先生来訪。お二方とも当時庵治第二小学校の教諭をつとめ、吉田くん、原田くんの指導にあたった。ひきうけ会社の産みの親である。9:30に着いた来場者は通常通り小えび隊によるガイドツアーを行う。10:30大島発に乗船する方々は時間がなく、ショートコースを組んでいる小えび隊のガイドが適切と判断した。
11:20に着くお客さんを対象に行う、大島案内ひきうけ会社本番まで、現地状況の確認。特に治療棟周辺の工事現場などを視察。その場でコースを決定していく。
11:30ひきうけ会社復活開催。8名の一般来場者を案内する。最初の司会は高橋が仕切る。大島を知っていただくに不可欠な盲導鈴、盲導柵、盲導線の「三点セット」、風の舞の残骨を入れる場所、栄養部(ご飯を食べやすくすりつぶしたり丸めたりしている)、等親御さんが大島の職員であり、大島で暮らしてきたからこその解説が印象に残る。大島会館でやさしい美術の取組の概要を説明して解散。ひきうけ会社一行をシヨルにお招きする。ランチを食べていただく。
14:20に着いた来場者も同様にひきうけ会社がガイドを務める。ひきうけ会社の旗を持ってガイド。2度目なのでリラックス。来場者からも質問も多くあがる。質問が多いということは興味を持ってもらっているという証拠だと佐々木先生から教わった。質問に答えられるかどうかの不安もあるが、ハンセン病のこと大島のことに興味を持っていただくことのほうがもっと大切だ。
厚生会館で小えび隊の末藤さん、小坂くんと今後の小えび体制について意見交換。そこへ佐々木先生、野崎先生が休憩にやってくる。来場者親子も交え、しばし談笑。楽しいひとときだ。来場者親子は高松から初めて大島を訪れた。「芸術祭のような機会がなければ大島に来ることはなかった。」という言葉から地域での大島の位置づけを感じる。
16:00見送り。その後は日が落ちるまでひたすら研磨作業。